何でも無い事なんですけどね、誰かが今日死んだ所で。
80代、90代中心の高齢者通所施設なので日常茶飯事とまでは言いませんが利用者の死はそれほど珍しい事ではありません。
年に何度かは家族やケアマネから死亡の連絡が来て利用終了ってな事になります。
ただ利用中に徐々に衰弱していきそして死を迎えられたパターンは私も初めてでした。
彼女は時折、意識を失いそして覚醒すると言う状態を繰り返していて、最初のうちは職員も慌てふためきドクターを呼んではその指示で救急車で搬送を繰り返していたのですが、何度か繰り返すうちに救急病院の医師もまたかと呆れ顔を見せる様になり、いつしか施設の医師による看取り対応となり意識が飛ぶ彼女に誰も慌てなくなっていました。
そもそも彼女には重度の認知症もあり、対応に気を使うタイプの利用者でも無かった。
今日は来所時から車椅子にうな垂れる様にどっぷり座り込み、意識もまばら。
これもいつもの光景。
昼前には意識も遠のき痛みの刺激にも無反応。手足は紫色に変色し浅い呼吸を辛うじてしているのみ。
ちょっと普段より悪いな……そろそろかな?なんて考えたりもするが、もう日常なのでそんなドライな考えに罪悪感も湧かない。
むしろいい加減、そろそろ……なんて想いも抱いていた。
なぜならほとほと彼女の送迎に困っていたからだ。
彼女は古びた県営住宅の1階に住んでいた。1階と言っても階段が4段ある為、車椅子の彼女を自宅に送り返すにはこの階段を車椅子ごと登らないと行けない。
彼女は簡易的なスロープをレンタルしているのだが階段が急勾配なのでそれをカバーする為スロープはデカい。オマケに部屋が階段から離れている為、巨大なスロープを部屋から運んで設置し、終わればまた戻すと言う労力がいる。
とてもじゃないが面倒なので理学療法士の私は裏技を使って車椅子ごと自分の太腿に乗せて車椅子を持ち上げる。4段をだ。
それも労力なのだが、問題はそこじゃ無い。
問題は彼女の部屋だ。
とにかく不衛生なのである。
ほとんど自分で動けないにも関わらず彼女は独り暮らしだ。一人息子がいるにはいるのだかとにかく彼女に対して息子はドライだ。
『死んだら連絡下さい』
『お金は無いので施設には入れません』の2つしか言ってこない。
聞く所によると彼は幼少期に叔母に預けられており彼女に母親としての感情はないとの事。
なるほど、それであんな対応かと合点は行く。
彼女は毎日、介護ヘルパーを朝と夕方に入れて排泄や食事の介助をして貰っているのだが後は実質ベッド上で放置状態。
一歩間違えば老人虐待状態だ。いや、そうなのかもしれない。
その為か部屋は何の臭いか分からない悪臭が漂っている。更にはとても靴を脱いで入る気にはならない様な汚れ切った床で働く気持ちを萎えさせる。
車椅子でベッドに移すとこれまた不衛生な布団を掛けてあげて逃げる様にその部屋を出て預かった鍵で施錠する。
去り際、毎回、彼女は何か言葉を投げかけてくるが、脳梗塞の後遺症で麻痺がある彼女の言葉は近くで何度も聞き返さないと理解は出来ない。
きっと『電気をつけて』とか『水持ってきて』とか訴えているんだろうけど、聞こえなかったフリをしても問題になる利用者ではないし、どうせ直ぐにヘルパーが来るし、とにかくその部屋の空気を極力吸い込みたく無い私は毎回その言葉を無視して逃げる様に去る。
毎回、服や髪の毛にその部屋の臭いが纏わりつくのもまた嫌だったからだ。
そんな想いもあって内心、逝くなら早く逝って欲しいとまで思っていた。冷酷な自分に興醒めだが、それも最初だけ。日常と言うのは色々な感覚を麻痺させる。大事な事も見失う。
昼過ぎには彼女の呼吸は完全に止まり、医師による死亡確認が行われた。
……死んだ。
享年94歳。
いや、さして珍しい事では有りません。むしろ妥当な成り行きです。
そしてこれが毎日で日常です。
目の前でゆっくり人が死んでいくのを見るのはこれで2回目だ。父親の最後と今回。
赤の他人だしむしろ少し自分にとっては迷惑な人だったので父親の時とは気持ちも違うが、人が目の前で死んだ時のあの、
『あ〜あ、もう本当にこの人とは会えないんだ』と言う絶対的な終わりの哀しさは感じられた。
迷惑だった人にでもこの世から去ると一抹の『念』と言うものが残る。
『残念』とは本来、この時の言葉なんだと実感する。
でもまた日常がやってきて毎日が繰り返される。彼女の事など直ぐに忘れ、別の悩みや想いが頭を支配するだろう。
毎日とは酷く『無機質』で『刹那的』なんだと思う。
それから数日後、もう当たり前だが彼女の事など忘れていた頃、同じ施設で送迎をしている高齢の男性パートさんと雑談する機会があった。
その中で何気に先日亡くなった彼女の話になり、去り際の彼女の言葉の話になった。
彼も別の曜日で彼女の送迎をしていたからだ。
私と違って高齢の彼は献身的な介護をしており去り際の彼女の毎回の訴えをわざわざ耳元で聞いていたらしいのだ。
『あれ、何て言ってたんですか?』
尋ねてみた。
『あれね、【ごめんなさいね】って言ってるんだよ。毎回必ず』
何回彼女を送り届けただろうか。
2年間……200回は超えてるか。
『別に謝らなくていいよ、当たり前の事だからって言うんだけどさ【ごめんなさいね、ごめんなさいね】って。認知症もあるからどこまで理解して言ってるのか知らないけどさ……』
聞こえなかった。
いや、聞こうとしなかった。
いや、本当は聞こえていたのかもしれない。
聞こえていたけど聞く耳を持たなかったのかな?。
それより『人』だと思っていたのかな?。私は…
それから暫くは楽しみの晩酌も美味くなかった。
そんなある日、彼女のケアマネージャーからお礼の電話が入った。
約2年間、私は彼女のリハビリを担当していた。認知症でリハビリ意欲もない彼女にさして大したリハビリなど行っていなかったがケアマネからは長い間ありがとうございましたと丁寧なお礼があった。
『先生の事、凄く好きだったみたいですよ。覚醒度の高い時に彼女言ってました。イケメンで大好きだって』
意外だった。時折、訓練中に見つめられている事は意識していたがそこまでの認識度があるとは思わなかった。
完全に油断していた・・・・彼女の前では表情も取り繕うことなく思いっきり『素』を出していたかもしれない。
『そうそう、送迎もしてくださっていたんですよね。なんか凄くシャイで【男はつらいよの寅さん】みたいだって』
あの部屋から逃げ帰る私の姿は彼女にはシャイな男に映っていた。
あの帰り際の息を止めた険しく醜い表情を彼女は見る事なく。
その晩は久しぶりに新潟の銘酒『八海山』を開けた。
毎日の晩酌に合うあっさり淡麗……のようであり大吟醸の様な堂々たる旨味を秘めている。
晩酌を付き合う彼女は『うん!飲みやすいね!毎日これがいい!』と言い、
私は『濃厚で凝縮された旨味。荘厳たる佇まい』と大層に答えた。
『毎日にして荘厳』
毎日、どこかしこで誰かが死んでいくが、そのたわいもない命も去り際は必ず荘厳である。